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矢口真里(左) 飯田圭織(中) 石黒彩(右) の3人がユニットとして 1998年 にデビューした。 |
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シングル ラストキッス
1998/11/18 ト短調 アルバム TANPOPO 1 1999/03/31 |
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さて デビュー曲の ラストキッス であるが 魔術士オーフェン(魔術師 ではないそうだ) のエンディングテーマだから |
1998年1月 モーニングコーヒー (モーニング娘。)
at 2001 09/09 15:07 編集
インディーズで 愛の種 5万枚完売という
常識的にはとても不可能な難題を
福田 安倍 飯田 石黒 中澤 の5人は達成してしまった
もちろん ASAYAN という高視聴率の番組のバックアップは大きかったが
それだけでは豊富な情報の中で懐疑的になっていたファンは動かなかったろう
やはり ひたむきにがんばる姿 がブラウン管を越えて伝わってきたからだろう
こうして つんく 作詞・作曲による メジャーデビュー曲
”モーニングコーヒー”が発売された。
98年1月28日のことだった。
衣装や曲調は あきらかに CoCo を意識した
正統派アイドル路線
久しくこのような作品が世に出ていなかったため たちまち話題になった
結果はオリコン初登場6位 の 30万枚 という
新人アイドルユニットとしては久々の大ヒットを記録したのである
1998年5月 サマーナイトタウン (モーニング娘。)
at 2001 09/19 20:31 編集
中澤 石黒 飯田 安倍 福田 の5人の
”モーニング娘。” はいわゆるアイドルユニットとして順調にスタートした。
もしかしたら 冬の時代 に終わりをつげる存在になるような気がした
5人という人数も衣装も デビュー曲の曲想もCoCoによく似ていた
ところが 2ndシングルのレコーディングも始まらないうちに
”つんく”がとんでもないことを言い出した
”増やしましょうか”
ナニを言い出すんだ せっかく順調にいってるのに
それに やっと5人の名前がしれわたったところなのに
(ASAYAN見てたから オイラはだいぶ前から知ってたけどね)
シングルの1枚目と2枚目でメンバーが増えたなんてユニットはないぞ
(減ったのはたくさんあるけれど)
そんなわけで 多くの ファン スタッフ そしてメンバーたちのとまどいのなか
市井紗耶香
保田圭
矢口真里
の3人を加えて 2ndシングル
”サマーナイトタウン”が発売されたのだが
これがまたびっくり
前作と曲想がまるっきり違う!
(ふつう2ndシングルはデビュー曲の曲想に似せることが多い)
それでも ある意味 キワモノとも受け取られかねないこの曲は支持され
オリコン最高位4位のヒットとなったのだった
(この時点では3人の中で矢口が目立ち、市井と保田は目立たなかった)
ところ
1998年という年はいろんな意味で
at 2001 09/26 23:45 編集
アイドル史のうえで大きな意味をもつような気がする
ASAYANという番組が はっきりとアイドルシーンの中心として認識された
モーニング娘。以前にも
Say a Little Prayer とか
佐々木ゆう子 とか
セールスは別として 話題はじゅうぶん集めただろうし
鈴木あみ などは主役に近い存在であったといってもいい
いっぽうで 宇多田のブレイクもあったし
kiroro のようなユニットも注目された
SPEED もまだ勢いを保っていた
コンポーザーに視点を移しても
コムロ イヂチ といったヒットメーカーに
つんく という新しい勢力が割り込んできたという認識だったろう
だが この 新しい勢力 は予想以上に大きな波紋となって成長していくのである
そして98年の7月には
at 2001 09/27 16:24 編集
モーニング娘。 の待望の1stアルバム
”ファーストタイム”が発売された。
アイドルらしいアイドルのアルバム というのは ほんとうに久々だった
(SPEED は アイドルとしての重要な要素が欠落していた)
アルバム1曲目の Good Morning のイントロが流れてきたとき
長い長い飢餓状態が またたくまに癒されていくのを感じた
すぐに連想したのが うしろ髪の ”素敵なモーニングドライブ” である
だが 決定的な違いがある
うしろ髪のほうは 男の子のほうからモーニングコールがあって
主人公の女の子は いやいや? つきあってドライブに行くのだが
娘。のほうは 女の子のほうからモーニングコールして誘っている
ちょうど 70年代の山口百恵(待っている女)と
80年代の松田聖子(積極的に誘う女) の対比のような違いが見られる
とにかく この曲には 語りつくせないほどの思い入れがある
Mステで番組の始まった頃(86年-87年)の
at 2001 09/28 19:24 編集
女性アーティストの映像を連続で流していたのだけれど
何というか 距離を感じさせる ものが多かった
衣装や振る舞いなどに どこか 見下したような感じをうけるのだ
歌唱力 ダンスの切れ ルックス ・・・
オーディションでは こういったものが主な選考基準になりがちだが
ブラウン管のむこうにいる人間の心をつかむのは別にある
それを 多くの人が気づいていただろうし
つんく も ASAYAN のスタッフも考えていたのではないだろうか
外野から見れば素人に近い女の子を寄せ集めたようにしか思われないユニットが
オリコンの上位にランクインしたのが不思議だったかもしれないが
少なくともASAYANを見ていた人にはじゅうぶん予測できたブレイクだった
そして98年の9月9日には
at 2001 09/29 12:44 編集
モーニング娘。の3rdシングル
”抱いて HOLD ON ME” が発売され
初のオリコン1位を獲得する
3曲目で1位を獲得するのが理想的
と いわれることが多い
その意味でも 計算通り だったかもしれない
このころになるとASAYAN視聴者でなくても
モーニング娘。の名前は多くの人に知られるようになる
ただ今と違って音楽活動主体であり
CMにすら出ていなかった
その中での1位獲得は楽曲の良さと
ASAYANの巧妙な煽りによるところが大きい
この年 ASAYAN では
at 2001 09/29 18:49 編集
ファイナルオーディションとよばれるものが行われ
最終候補の5人を 視聴者による電話とインターネットの投票で決める
というやりかたであった
ここで目をひいたのが 鈴木亜美(後の鈴木あみ)
もちろん好みのタイプだったから両方で投票した
結果は 諸隈美幸と大接戦の末鈴木亜美が選ばれた
のはよかったのだが よりによって小室・・・・(残念)
(2位の諸隈美幸も後に小室プロデュースでデビューするが売れず)
ともかく話題性とルックスだけは抜群だったから
小室のヘンな曲ながら そこそこのブレイクをはたした
(まだ初期のころは それなりにいい曲は書いていた)
こうして モーニング娘。 と 鈴木あみ は同じASAYAN出身のライバルとして
しばらくASAYANのネタとして利用されることになった
抱いて HOLD ON ME オリコン1位の余韻がさめない頃
at 2001 09/29 20:00 編集
つんく&ASAYAN がまた動いた
なんと モーニング娘。のなかで
もう1つユニットを作る というのだ
福田と安倍 が 娘。の顔 として成長してきた
中澤はすでに演歌歌手としてソロデビューしている
そこで 飯田 石黒 と 新メンバーの中から3人目を選んで
3人組のユニットを・・・ というものだった
さっそく 矢口 市井 保田 の
3人の中から新ユニットの1人を選ぶためのオーディション?が始まった
たぶんこれには まだ知名度の低かった新メン3人を認知させる意図もあったろう
5回あったオーディションの中で なぜか この2期生だけが
オーディションの様子をASAYAN(5期生はMUSIX!)で
あまりくわしく追われていなかったのである
結果は 矢口が選ばれ 実際はどうかは知らないが
見ているほうには 市井・保田 と 矢口のあいだに
微妙な溝のようなものができたように思えたのだ